漫画「妊娠したら死にたくなった~産褥期精神病~」をネタバレ解説
結婚してからの生活は、順風満帆だった。夫は優しく、周囲からの祝福もあって、彼女は「母になる日」を心待ちにしていた。妊娠が分かったとき、胸に広がったのは幸福と期待。小さな命を宿したことが、彼女をさらに輝かせるはずだった。
――しかし、その予想は裏切られる。
長い陣痛の末に赤ん坊を産み落としたとき、確かに喜びはあった。だがその直後、体は鉛のように重く、痛みは消えることなく、眠る間もなく授乳が始まった。夜中の泣き声、終わらないおむつ替え、どんどん削られていく睡眠。回復するはずの体は思うように動かず、鏡に映る自分は疲れ切った見知らぬ女のようだった。
「母親なんだから、これくらい当然よ」
「赤ちゃんが一番なんだから、頑張らなくちゃ」
そんな言葉をかけられるたびに、彼女の心は深く沈んでいく。夫の無邪気な一言、義母の何気ない忠告、友人の“幸せそうな母親像”――それらが彼女を責め立てる。
だが一番恐ろしいのは、自分自身の心の声だった。
「私は母親失格だ。赤ちゃんを可愛いと思えない。どうして愛せないの?」
罪悪感は雪崩のように押し寄せ、笑顔を作ることすらできなくなっていく。
やがて、その声はさらに暗く、鋭く変わっていく。
「いっそ消えてしまえ。死んでしまえば楽になれる。」
赤ん坊を抱いたまま、窓の外を見つめるたび、彼女の足は震えた。
愛したくて、愛せない。その矛盾が心を切り裂き、出口のない迷路に閉じ込められていく。
――それは「産後うつ」を超えた、産褥期精神病という病気だった。
周囲は最初、その危険を理解できず「疲れているだけ」と言い聞かせていた。だが彼女の目から光が消えていくのを見て、夫はようやく恐怖に気づく。病院で告げられた診断は、思いがけないものだった。
「これは母親の根性の問題ではありません。病気なんです。」
その言葉に、張りつめていた糸が切れたように涙が溢れる。
初めて「自分が弱いせいではない」と思えた瞬間だった。
支援を受け、治療を始めた彼女の道は決して平坦ではない。良い日もあれば、また暗闇に沈む日もある。けれど、傍らに寄り添う夫の姿が、少しずつ彼女を現実に繋ぎ止める。
赤ちゃんの寝息にそっと耳を澄ませ、心から「大丈夫」と自分に言い聞かせられる日が来るのか――。
それはまだ遠い未来のことかもしれない。けれど、少なくとも彼女は「生きて、明日を迎えよう」と思えるようになっていく。
母になった喜びと、母になった苦しみ。
その狭間で揺れながらも、彼女は一歩ずつ、出口のないと思っていた暗闇を歩いていく。
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