漫画「傷モノの花嫁」をネタバレ解説
あの日の森は、妙に静かだった。
子供の菜々緒は、迷い込んではいけないと知っていながら、吸い寄せられるように奥へ奥へと進んでいた。風が止まり、木々の影が伸びて絡みつく。と、その中にひときわ赤い色が揺れた。酒の香りと共に現れたのは、赤毛の妖怪――猩猩だった。
恐怖で足がすくむ。逃げようとする間もなく、その逞しい腕が彼女を抱き上げる。額に焼けるような痛み。嗅いだことのない鉄と香の混じる匂い。気を失う直前、低く笑う声が耳に残った。
目覚めた菜々緒は、屋敷の奥座敷に横たわっていた。家族の顔は安堵ではなく、恐怖と嫌悪に歪んでいる。
「傷モノになった」――その言葉が何度も繰り返される。額に残ったのは、赤黒く脈打つ奇妙な紋様。妖印。
数日後、婚約は破棄され、菜々緒は猿の面を被らされ、外に出ることも許されなくなった。屋敷の片隅で息を潜める日々。笑うことも泣くこともやめた。心は、冬の氷のように固く閉ざされていった。
その日も、雨が降っていた。
行き場をなくし、庭の軒先で縮こまる菜々緒の前に、ひとりの男が立った。黒い着物に金色の瞳。冷たい光を宿した眼差しが、面越しの彼女をじっと見つめる。
「……その面を外せ」
低く響く声に、菜々緒は身をすくませた。だが男は続ける。
「お前を、私の妻にする」
紅椿家の若き当主・夜行。人も妖も畏れる“鬼神”と呼ばれる男だった。
突然の言葉に戸惑いながらも、菜々緒はその手を取る。猿面は外され、紅椿家での新しい生活が始まる。広い廊下、格式高い座敷、屋敷を行き交う妖の気配。全てが未知で、全てが恐ろしい。それでも夜行は言い続けた。
「お前は傷モノなどではない」
やがて菜々緒は、紅椿家を巡る陰謀や、妖と人の深い溝、そして妖印に秘められた真実に直面する。かつて彼女を襲った猩猩との因縁も、運命の糸のように絡み合って再び現れる。
恐怖に怯えるだけの少女だった菜々緒は、次第に己の力と存在意義を知っていく。夜行の守りの中で、彼の隣に立つ者として――。
それは、呪われた花嫁が、自らの足で未来を切り拓くまでの物語。
闇に沈んでいた花は、やがて陽光の中で紅く咲き誇るのだった。
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